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読書

栄達への野心を捨てた才能 播磨灘物語より

梅の花
黒田官兵衛(如水)といえば、吉川英治さんや司馬遼太郎さんなど、多くの作家が主人公として小説を描くなど、膨大な関連書物があります。

昨年、大河ドラマで取り上げられたことで、「官兵衛は、こういう人だったんだ」と、身近に感じられた方々も多いことでしょう。

躰が不自由になるほど過酷な幽閉生活。
どれだけの精神力があったことか!と、畏敬の念を抱きます。

今の刑務所ならば、刑期が決まっていますが、官兵衛の場合は、いつ出られるのか?分からない。
今日にも殺されるかもしれない・・・・。
という状況の中で、日々、その瞬間を生きていたわけですから。

司馬遼太郎さんが官兵衛を主人公にした小説は、「播磨灘物語」です。
その中の一節に、官兵衛が思う竹中半兵衛について回想する部分があり、とても心に残っているので、ご紹介してみます。

「竹中半兵衛の才能は、栄達への野心を捨てたところに息づいていた。錯綜した敵味方の物理的状況や心理状況を考えつづけて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明な心事をつねに持っていなければいけない、と官兵衛はつねに考えている」

半兵衛という人物の核心を見抜ける官兵衛も、また人物でありましょう。

野心を捨てる。
水のように澄明な心事をもつ。

これこそが、物事の真理を見極め、正しい行動を起こす根本だと・・・・。

今の時代を眺めてみればどうでしょう?
何をすべきか?何をしたいか?
最初はきっと、皆、そんな志を持っていたはずです。

しかし、社会を生きる中で、いつしか根本を見失い栄達、出世が目標にすり替わってしまう。
そういう人が多数ではないでしょうか。

その他大勢に、なりたくないならば、常に初心を忘れず、志を捨てず、澄んだ心でい続けること。
それが、よくよく大切だ!と、実感します。

心に恥じることなければ、怖いものはなし

森林
迷い、心配事、怖れ・・・。
漠然とした不安が、日々の生活につきまとうこともあると思います。

実際には、起り得ないかもしれないことに、ついつい縛られる。

よくよく考えてみると、そういった現象は、すべて自分の心、その動きにあると言えそうです。

戦国武将として名だたる上杉謙信は、こんな言葉を残しています。

「心に誤りなきときは 人を畏れず」

この言葉を私なりに、こんな風にも解釈しています。

「自分の心に恥ずべきところがなければ、何も怖がることはない」と。

何もかも完璧にやって生きることは難しい。
いや、不可能だと言っていいでしょう。
なぜなら、完璧というものが、実は欠点にもなり得るからです。

それでも、自分の心に照らして、今日一日恥じる行いはなかったか?
と、思い起こしていけば、自然と心も澄み、よい朝を迎えられることでしょう。

自分と向かい合う。
一日のうち、ほんの僅かでもいいから、そういった時間を持ってみてはどうでしょうか。

古典・先賢を友とする

松代
良書、会心の書と向かい合っていると、心が研ぎ澄まされ、純化されていくことを感じます。

読書の効用は、計り知れないほど。
世の中には、いろいろな書物があふれていますが、古典、先賢の言葉を身近に置き、寸暇を惜しんで読み耽ることは、実に役立つものだと思っています。

というのは、それらの書は、数百年、あるいは千年を遥かに超える歳月を経て、今に伝わるものですから、それだけの時間に耐えてきたものだからです。
必ずや、得るところがあるはず。

「偉人」と聞けば、雲の上の人・・・と、思ってしまうかもしれませんが、そうではなく、同じ人間として、友として交わる。
そこが大切だと思います。

読書をしていれば、そこには実際にこの地球上を生きた人物との交流が生まれます。
人生の先輩ですね。

生きている人と、死んだ人。
そこに、どれだけの差があるか!?と、よくよく思います。

お互い生きていても、一切会わぬ人もいる。
一方、既に死んだ人でも、書を通して付き合うことができる。

極上の友だと言っていいでしょう。

試練に遭遇したとき、大きな悩みに襲われたとき、果たして先人達は、どのように克服し、走り、飛んでいったのか・・・・。
必ずや、自らが生きていくための糧となることでしょう。

夢ノート

萩
大河ドラマ「花燃ゆ」がオンエアされ、これから吉田松陰にまつわる書籍なども、どんどん書店に並ぶことでしょう。

松陰が、獄に幽閉されたことは有名な話ですが、その時期、兄へ送った言葉が残っています。

「いましめの人屋のとざしかたくとも 夢のかよひぢ何如でとどめん」

「人屋」というのは、「獄」とも書けますから、現代風に意訳すると、こんな意味になるのではないでしょうか。

自分の身は今、野山獄にあり、外へ出ることはかなわない。
されど、私の夢(志)は、誰にも止めることはできない。

夢という言葉に、あえて「志」という文字を加えましたが、松陰の言う夢の根本にあるものが、それだと考えたからです。

「あなたは、何のために生きていますか?」
と、問われたとき、即答できるでしょうか?

貯えなく、苦しい生活をしている中でも、「いつかこうなってやる!」と、強い気持ちを抱き続ける人には、必ず未来が拓けるものではないでしょうか。

こうなりたい!
こういうことをしたい!

そんな思いがわいてきたならば、ノートに記し、その志を忘れぬよう、日々見直してみては如何でしょうか?

夢ノートとでも申しましょうか。
「こうありたい!こうなりたい!こうしたい!」
この気概こそ、たいへん尊いことで、その結果がどうであろうと、大したことではありません。

自分の心に邪念なく、公のためにと夢を叶えようとすることこそ美しき。
私自身、そう自分に言い聞かせております。

静かな時間と読書

落ち葉
元旦、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
私はといえば、デスクまわりの書類の整理、そして読書をして、ゆったりと年の初日を送っています。

現代は、実に様々な楽しいことが、身の周りに溢れていますね。
時には、そういったことに没頭するのも悪くはないと思いますが、やはり読書はいいものです。

何より、心が安らぎます。

本と向かい合えば、そこには出会いがあり、新しい世界を知ることができます。

私は、ここぞ!と思ったセンテンスは、何度も何度も読み返しています。

少年時代から本が好きで、結構な量も読んできましたが、それでもやはり、特別な本というものがあります。
できれば、枕元に置いておきたいくらいの。

こうなると、まさに友ですね。

雑多な騒音、情報の洪水に、ややもすれば流されそうになる現代ですが、本と接することで、気持ちも穏やかになってくるのを感じます。

好きな本は、何度でも読み返す。
使い込んだ風味も格好いいですよ(笑)

機会があれば、これまで読んで来た本の中から、私版お薦め文庫でもご紹介したいと思っています。

月に1冊も本を読まない若者の増加

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「読書離れ」という言葉は、かなり以前から使われていますが、ここ数年で、その傾向は更に拍車をかけているようです。

文化庁が発表した「国語に関する世論調査」によれば、一か月に一冊も本を読まないと答えた人が、2002年度には、全体の37.6パーセントであったのに対し、2013年度では、何と47.5パーセントに上昇しています。

中でも、16歳~19歳の若者が「一冊も読まない」と答えた比率が、非常に伸びている状況が見えてきます。

高校生の時期には、人間学を学ぶためにも、極めて重要な時期だと思うのですが、何も改善策を検討しなければ、益々この傾向は強まっていくことでしょう。

読書とは、単に知識を習得するだけではなく、集中力を養い、心の安定をもたらす効果もあります。
また、たとえば小説の部類であっても、いろいろな人間のタイプを知ることにより、人情の機微を知る良き出会いとなることでしょう。

以前も書きましたが、国語力は、他のあらゆる教科にも影響を与える基礎的学問だと思っています。
それを考えると、非常に心配な思いを抱かずにいられません。

読書とは、相手としっかり向かい合うということでもあります。
そして、本から読みとるものというのは、青少年期だからこそ出来るという側面もあります。

ネットの普及、ゲームという時間を潰す道具が氾濫する世の中ですから、読書に充てる時間が激減していくことも推察されますが、このままだと、心身の発達過程にある若者にとって、先々を考えたとき、実に心配な状況が、明らかになって来ていると言ってもいいでしょう。

心静かに、気持ちを集中させ、これぞという本と向かい合う。
これは、ある意味、習慣でもあります。

事態は、放置しておくには無責任だ・・・と言える状況になってきているようです。
読書の楽しみ、その効用は、若い時代だからこそ、得られるものが多々あります。

何とか、しなくてはいけない!
そういった感慨を強くしました。

反復する読書

白川郷
読書は良薬にもなれば毒にもなる。
そんなことを書いた記憶があります。

快心の書物というものは、心を躍動させ、自らを見つめ直すきっかけも与えてくれます。

良い書物に出会えば、俄然得るところがあり、「こうありたい」と思う。
しかし、どうしても時の経過と共に、その気持ちも薄れがちになってしまうもの。

それは、まだまだ読書の仕方が薄いっていうことで、「これぞ!」と思う出会いがあったら、何度でも何度でも彫るように読むことです。

それがいつか実となり花となり、自然と血肉となっていくことでしょう。

常に手元に持ちたい、枕元に置きたい。
そんな書物に出会えた人は、この上なき幸せ者です。

読み聞かせの効用と思い出

絵本のある空間
現代病の一つと言ってもいいと思うのですが、昼夜が逆転してしまっている人々が増加しています。
一昔前であれば、深夜といえば、することと言えば寝ることくらいだったわけですが、ネット時代が到来し、SNSなどを覗けば、24時間、誰かが起きている・・・。

夜明け、日没を感じる力が、著しく衰えたと表現してもよいかと思います。

問題なのは、発育期にある幼少の時代から、こういった生活習慣が身についてしまうことです。

ベッドに入ってもスマホを手放せず、暗い部屋でディスプレイの光を受け続けるものだから、いざ寝よう!と思っても、入眠できない・・・。

以前、「子供が寝なくて困っている人へ、どういうアドバイスが考えられるか?」という課題を話し合う場がありました。
その際、学校現場へ赴き、保護者の皆さんへアドバイスしているという方から、こんなご意見をいただきました。

「布団に入って、お母さんが読み聞かせをしてあげると、睡眠に入りやすいですよ」と。

「読み聞かせ」といえば、乳幼児から小学生くらいの間に行う情操教育とされていますが、睡眠にも入りやすいと聞き、はたと思い出すことがありました。

私が幼い頃、親戚の家にあずけられ、どうしても眠れなかったとき、叔母さんがそっと声をかけてくれて、絵本を読んでくれたのです。
その時の光景は、いまだに映像として覚えているし、優しかった声も忘れていません。

おそらく、それくらい嬉しかったから、記憶の中から消えずに来たのでしょう。

物語には、わくわく感があり、心が安らかになる要素があるし、それを伝えてくれる身近な人の「声」というものは、限りない安心感を与えます。

大人からすれば、たかが絵本の読み聞かせ・・・・。
ただし、実際に私のように、生涯忘れ得ぬ思い出として抱き続けている人間もいる。

デジタル時代にあって、添い寝して絵本を読んで聞かせる。
今こそ、思い出したい古き良き習慣ですね。

ぜひ、やってみてください。

だれも知らないムーミン谷 「共生」ということ

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先日、眠りにつこうとするとき、ラジオのトーク番組に耳を傾けていました。

ゲストは、文筆家の熊沢里美さん。
熊沢さんは、北欧の文化や神話などを研究されており、ノルウェイについて知るうちに、ムーミンについての本を出版するに至ったそうです。

ラジオで語られたのは、「だれも知らないムーミン谷」という作品について。
とても興味深く聞かせてもらいました。

ノルウェイは、国土のほとんどが森で、その中にある谷にムーミン達が住んでいるという設定なのだそうですが、主な登場人物であるムーミンやスナフキンをはじめ、それぞれのキャラクターが、実は異なる民族なのだそうです。

その彼等が、幾多の試練を乗り越えて、「共生」をしてゆく物語であると・・・。

共生といえば、日本は島国ゆえ、実生活で外国の方々と接する機会が多いとはいえません。
しかし、今後、世界の距離は間違いなく縮まり、ビジネス、文化、芸術、スポーツなど、あらゆる分野で交流は深まっていくことでしょう。

異なる血統をもつ者達の共生。
ムーミンから学べるものは、たくさんありそうです。

抱え込まない 心の荷物を軽くすること

和風の家
今日の埼玉は、ちょっと信じ難い暑さです。
きっと、皆さんのお住まいでも、猛暑でしょうね。
水分補給をして、ご自愛ください。

さて、好き嫌いの問題ですが、私は、徳川家康という人が、それほど好きではありません。
しかし、戦乱の世を生き抜いただけに、残した言葉や政の奥深さには、目を見張ることがあります。

たとえば、260年間も続いた幕府の仕組みを構築した知恵は、恐るべきもの。
代表的な例をひとつ上げれば、幕閣の中枢(老中など)を任せる人物には、大きな領地を与えなかった。
逆に、大きな領地(大藩)を持つ者には、幕政の権力を与えなかった。

権限と財産を明確に分離させていたんですね。

前置きが長くなりました。
その家康の言葉に、こういうものがあります。

「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし」

深いな~と感じます。

さて、今回は、家康が言っていることは真理だとして、逆のことを書きたいと思っています。

人間、生きている間には、たくさんの荷物を背負い込みます。
責任感のある人ほど、重い荷物を抱えていると言っていいでしょう。

しかし、あえて言いたいのは、荷物はなるべく少なくして、自分を自由にする大切さです。

親であれば、子供のことを第一に考えますが、「我が子こそすべて」という感覚で日々を過ごしてしまうと、自分自身の人生を疲弊させてしまいます。
子供も一人の人間です。いつかは巣立ち、自分自身で生きていかなければならない。

また、学校の教師であれば、すべての児童・生徒の人生を背負い込むことはできません。
それでは、身がもちません。
さらに、彼等も、必ず自分自身の力で、世の中を歩んでいかなければならない。

親、教師。
大切なものを守る必要はありますが、あまりに多くを抱え込んでしまうと、共倒れになってしまいます。
これは最悪の事態です。

実際、病を持った家族に寄り添うあまり、一家すべてが病んでしまうということもあります。

「何かのときは、救い船を出す。だから自分で泳いでみなさい」
という気持ちも必要だと思うのです。

人の一生は、自分自身でしか生きようがありません。
そのすべてを替わって抱え込むことが、かえって良くない結果をもたらす場合が多い。

心の荷物を軽くする。
余力を残し、自分自身が元気でいることが、何よりも「いざ」というときの防波堤になるのではないでしょうか。