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読書

本を読む


自分の椅子へ腰掛ければ、すぐ手の届くところに、本を数冊おいておくようにしています。
私の場合は、異なるジャンル、時代の本を並行して読むことが普通になっているということもあり。
それらを一日の間に、幾度となく手に取るのです。
小説、実務的なもの、歴史・時代もの、以前に読んだもの、その他諸々。
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自分の心の是非を問う

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人間、そんなにも強い人ばかりではなく、他人からの評判が気になったり、陰口を言われていると聞けば落ち込んだり、怒ったり・・・。
また、夜な夜な、こんな自分で良いのか?と、妙に落ち込んでしまう時もありますね。

できたら、堂々と生きたいものだし、澄んだ心根でいたいものです。

とはいえ、不安とか、自信がないとか、他人の眼が気になるとか・・・。
実際には、よくあることです。

ただ、自らの心に照らして、何ら恥じる行いをしていなければ、誰に何を言われようと、超越していられる。
そうも思えるのです。
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聖賢の書といえど鵜呑みにせず

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江戸時代も後半、安永元年に生まれたとされる佐藤一斎という人物があります。

一般的には儒者として知られていますが、実学思想も色濃く、実際幕末を動かす原動力になった数多くの人物が、佐藤一斎の門下として学んでいます。

その弟子達。
ごく一部の名前をあげただけでも、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠などなど。

さらに、孫弟子まで加えれば、河井継之助や吉田松陰なども、その系譜上にあるといっても、おそらく大きくは間違っていないと思います。

さらに、佐藤一斎が著した「言志四録」には、感銘を受ける者どもも多く、かの西郷隆盛も非常に大切な書として常に自己研鑽の教科書としていたようです。
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読書の効用 素晴らしき人物と出会う時間

電球

私が住んでいる場所は、埼玉でも至極交通が不便なところでありまして、いまだ田畑が残る佇まいを見せています。

朝、眼が覚め、窓をあければ、いろいろな鳥の囀りが聞こえ、これからは夜になれば、カエル達の大合唱が響いてくることでしょう。

自然の音、その匂いというのは、いいものですね。

時には、心を静かにして本と向かい合う。
自分にとっては、至悦の時間です。

読書の良さ、そのひとつは、いろいろな人物と巡り会えることだと思っています。
本の頁をめくってゆけば、「読書をしている」という意識はなくなり、自然な対話がはじまります。

いまはもう、この世にいない先人達にも会えるのです。

思えば、何という贅沢でしょうか。

数百年、数千年の歳月を生き抜いた本、人物には、やはり教えられることが多々あります。
これを知らなくては、実に勿体ない。

いまはもう、この世にいないはずの人物が、生き生きと語りかけてくる体験。
ぜひ、皆さんも味わってみては、いかがでしょうか。

時には、パソコンから離れて、本、書に触れるのも良いもの。
お勧めの時間です。

読書を友とする

仁和寺
私は、物を書いたり、書物を読むということは、一種筋力だと思っています。
日々、続けていないと、その力が衰えてしまうし、せっかく書いたり、読んだりする習慣が身についても、つい怠けてしまうと、その力が落ちてしまう。

昨今は、「読書離れ」と、よく言われますが、身の回りには「楽しいこと」があふれ、本を読む時間などない!という人々も多いことでしょう。

しかし、寸暇を惜しんで書を読む・・・と言った先人もあるように、よい本を熟読し、自らの血肉とすることは、人生に活力を与えると思うのです。

本には、遠い昔に生きた人々の言葉もあります。
そう、本と向かい合っているときには、既に天国へ行った人々とも対話ができるのです。

本と、そしてそこに出てくる人物と友となる。
それをした人と、しなかった人。
人生にどれだけの差が出るか?は、明白ではないでしょうか。

読書の習慣がない方々には、はじめからハードルをあげず、たとえば「1日10ページでも」くらいの気持ちでスタートすることをお勧めします。
一度、本を手にとってしまえば、自然とその世界に没頭できることでしょう。

友達とは、今同じ時代に生きている人達ばかりではない。
本を通して私達は、無限に多くの素晴らしい人達と出会うことができるのです。

不遇、禍の中での明るさ

海と月
大河ドラマ「花燃ゆ」をご覧になっていらっしゃる方々も多いことと思います。
その主要人物である吉田松陰。

世間一般の目で見れば、まことに悲惨な最期を遂げ、志なかばに逝ったということになるのでしょうが、松陰は暗さを感じさせません。

どんな境遇、運命でも、一種の明るさを持っていたのが吉田松陰だと思うわけです。

辛いとき、災難に遭ったときこそ、自らを修める好機と捉え、獄牢生活の中でさえ、楽しみを見つけ、友をもった松陰。

こういった心構えを持てるのは、おそらく「孟子」から学んだことも影響していると思います。
逆境こそチャンス!

松陰の心根、その強さが、生半可でなかったことは、彼が残した「留魂録」を見れば、即座に分かります。

「留魂録」とは、死(斬首)の直前、2日間で書き上げたものだと言われています。
死を目の前にして、あれだけの文章を書けるとは!
ただただ、その強さに感服するのみです。

自分のことや愚痴を言うわけではなく、友などに後を託す心配りにあふれ、その中に死生観も垣間見られます。

私などは、ちょっとした躓きで嘆くことしばしばですが、松陰の生き様を見ると、勇気がわいてきます。

どんなときでも、明るさを保ち続けること。
そんな人生、毎日を送れますように。

善悪、明暗に気づくこと

萩の花
佐藤一斎が残した言志四録に、こんな一節があります。

「物を容るるは美徳なり。然れども亦明暗あり」

これは、こんな意味でしょうか。

人を受け入れるのは美徳である。
しかし、そこには良いものと悪いものがある。

善を容れるのは良いことだが、悪を容れることがあってはならない。

これが出来るようになるには、確固とした自我の確立が必要だし、人物を見る眼を養っておく必要があると言っていいでしょう。

誰が言った言葉か?
ではなく、そのこと自体が正しいのか?間違っているのか?
よくよく、自らが判断できなくてはいけない。

大切なことだと思います。

これが出来るようになれば、邪念も追い払うことができ、よろしくない誘いに乗ることもなくなることでしょう。

心したいところです。

現場を知らねば始まらない

冬の田圃
皆さん、お疲れ様です。
冷え込む日が続きますが、梅の花が咲き始めれば、春はすぐそこ。
あたたかい日差しも、もうすぐですね。

私は、20歳代から30歳代後半までは、ほとんどテレビを見ることもありませんでした。
実際、仕事中心で毎日が動いており、テレビに費やす時間を生み出すことが出来なかったのです。

しかし!
その反動か?
今は、結構ドラマも見ますよ(笑)
これを反動というのでしょうか??

大河ドラマも見ています。
吉田松陰という人は、本当に稀有な人だと、つくづく思います。

何でも、久坂玄瑞が登場した回は、視聴率が上がったとか(笑)

さて松陰が、安政5年の夏、その久坂玄瑞へ宛てた手紙の中に、こんなことを記しています。

「事起れば事有る所へ行き、事を成すより外はなし。」

この意味は、何かあったならば、必ず現場へ行きなさい。
そうでなければ、正しい判断は出来ません。
・・・・ということだと思います。

現場では、日々様々なことが起こり、問題に直面するのも現場です。

松陰は、しっかりその目で見ることですと言いたいのでありましょう。

大企業でも役所でも、本社、本庁努めが長く続く人がいます。
それだけ信頼され、大切な仕事を任されているということですが、いかんせん現場を知らない人が多すぎる。

椅子に座って、指示をしているだけでは、人の心は動かず、やがては組織の衰退を招きます。

事あれば!
すぐさま飛んで行くくらいの気概を持ちたいものです。

そうでなければ、血のかよった会社運営、行政は出来ない。
私は、そう確信しています。

書と音楽に親しむ

いちょう
現代は、洪水のような情報が溢れ、望む、望まざるとに関わらず、目に入り、耳に聞こえてきます。

昔であれば、誰かと連絡を取りたければ、手紙をしたためるか、自らの足で旅をしたものだし、知識を得るために、希少な本を求めて歩き回った。

今はといえば、どこにいてもあらゆる情報が入ってきますね。
ある意味、人が情報に対して受身になっているとも言えそうです。

ネットの普及により、24時間中、誰かしらと交流を持つことも可能になった今、心静かに自分だけの時間を持つ必要性が増していると思うのです。

そんなとき、お勧めはやはり読書と音楽ですね。

本を読むことは、知識を得るだけではなく、心を穏やかにし、勇気をもらえるという効用があります。
小説であれば、主人公と対話することもできる。

音楽しかり。
素晴らしい楽曲は、心の奥底にある琴線を響かせてくれます。

デジタル社会となった今、自分だけの時間は、アナログ的に活用する。
時には、ゆったりとくつろいで、書や音楽に親しみ、身を委ねるということが、心に栄養を与えてくれるはずです。

今日が、皆さんにとって、ステキな日でありますように。