教職員の人事・服務に関するご相談、企業でのメンタルヘルス研修 埼玉教育サポートセンター

先生

義務教育界の体質とこれから求められるもの

橋
子供の健やかな成長、質の高い教育が重要だ・・・・という意見に反対する人は、まずいないだろうと思います。

また、それを実現するために、よく言われるのは、「学校、家庭、地域」の連携です。
たしかに、この3つが協働して教育に取り組まないと、大きな成果は望めない。

いずれか一つが突出したり、どれか一つが欠けても上手くいかず、結果的に子供達の教育に悪影響を及ぼすことになってしまいます。

私はこの、学校、家庭、地域の連携の推進にブレーキをかけている要因のひとつが、義務教育界の体質にあると考えています。

小中学校の先生、一人ひとりは、一生懸命にやっている。
しかしながら、舵取りをする幹部・・・実態のない組織、慣習が、進化を妨げているように思えて仕方ないのです。

高校の状況と異なるのは、義務教育籍で教育委員会などに勤め、幹部の席に座る人は、地元の名士的な人が多く、地元に人脈があるものだから、現役を引退した後も、いろいろな形で影響力を行使する。

また、義務教育界の場合は、あまりにも先輩、後輩の上下関係が顕著で、いつになっても後進に道を譲ろうとしない。
歴史の言葉に例えれば、院政ですね。

時間は常に流れ、時代は変わります。
今、この時に起こっている状況に対応するには、新しい人材、若い力が必須なはず。

嘆かわしいのは、教育行政のうち、家庭教育や社会教育に携わる多くが、義務教育畑の人であること。
即ち、各種協議会などの役員、委員として居座り、なかなか席を若手に譲ろうとしない。

この義務教育界の体質を思い切って改善しない限り、新しい時代を乗り切る英知は生まれないことでしょう。

学校、家庭、地域。
この結びつき、協働を推進するためには、まず義務教育界の体質を抜本的に改革する必要がある。
私は、そう思っています。

先生の悩み 保護者との関係 一人で対応しない

冬の散歩道
教師受難の時代・・・・と表現したら言葉に過ぎるでしょうか?

今、学校では、様々な課題が山積しています。
私達が、ずっと携わっている「先生のメンタルヘルス」からも、学校の現状が、非常に厳しいものになっていることが浮かび上がってきます。

今日は、そのうちの一つ、「保護者との関係」について。

昔であれば、「先生」といえば、尊敬される職業だったわけですが、時代は変わりました。
むしろ、冷ややかな眼で見られることだってあることでしょう。

必然、保護者も容赦なく、苦情、クレームを言ってくる。

こういった類の対応は、ケース・バイ・ケースだし、よくよく先方の気持ちを察してからすべきですが、一点必ず気をつけたいことがあります。
それは・・・・

「担任一人だけで対応しない!」
ということです。

問題が大きければ、それを解決するために、校長、教頭はもちろん、同僚にも加わってもらい、チームとして対応すべき。
一人だけで、すべてを背負い込むことは、避けるべきです。

一方、もう一つ気をつけたいのは、クレームを言う保護者は、「自分は正しい!」と、思っているのですから、途中で話を遮って、たとえ正論であっても、理屈ですぐさま反論しないこと。

すべてとは言いませんが、多くは、自分の気持ちを吐き出すことで、気持ちが落ち着くのも事実。

「理不尽なクレームだ」と感じても、まずは相手の話を聞き、その場には誰か別の教員にも立ち会ってもらう。
そこが大切なポイントだと思っています。

難しい問題こそ、学校の組織力、チームワークが試されるときです。
自分だけで抱え込まず、苦しさ、辛さも共有できれば、心の荷も軽くなるはずです。

張り詰めた糸は切れやすい

鏡池
張り詰めた糸というのは、切れやすいもの。
ある程度の弛みをもっていたほうが、しなやかであり、がんばりが効くと言えると思います。

弛みとは、言葉を変えれば、余裕にも通じ、何か事があったとき、柔軟な対応が出来る状態でいることができます。

さて、学校に務める先生達が、非常にストレスを感じる原因のひとつに、24時間、常に張り詰めている・・・という心模様があるのではないでしょうか?

帰宅しても、保護者からの電話があったり、思わぬ時に、子供の事故があったりと・・・・。

真面目で几帳面であり、責任感の強い先生ほど、悩みを抱え過ぎてしまうのも、常に糸が張り詰めた状態だからだ・・・と、私は思っています。

「いい塩梅で」
何と、英知に満ちた言葉でしょうか。

糸を緩めるというは、決して怠けるということではありません。
ここぞ!というときに、全力を出せる準備が出来ているということ。

あまりに、物事の一つひとつを大きく考えて、自分を縛り続けるのは、むしろ良い結果を招きません。

いい塩梅に、時には糸に弛みを持たせて・・・・。

改革するために直面する3つの壁 上杉鷹山の事例から

旧家の道
江戸時代、飢饉や藩財政のやり繰りに苦しむ所がたくさんありました。
そういった苦難を乗り越えるために、米沢藩で改革を推進した上杉鷹山は、今も尚、名君と呼ばれています。

かのケネディー大統領に、日本人記者が、「あなたが尊敬する日本人は誰ですか?」と訊いたとき、上杉鷹山の名前が出たことは有名な話で、質問した記者自身が、鷹山を知らなかった・・・・という、何ともお恥ずかしいオチが付いています。

上杉家は、会津という大国から関ヶ原の合戦後、米沢の小さな所領へと移され、その際にも藩士を全員連れていったものですから、藩財政はひっ迫していたと言われます。
状況が変わっても、スリム化できなかったんですね。

その藩政の立て直しに着手し、尽力したのが、婿養子として上杉家を継いだ鷹山です。

鷹山は、改革を推し進めるにあたり、超えるべき壁が三つある!と、考えていたようです。

〇物理的な壁
〇制度的な壁
〇意識的な壁

この中で、最も難しかったであろうことは、「意識的な壁」だったことでしょう。
人の心ほど、思うままにならないものは、ありませんからね。

そこで、鷹山は、自らが率先して善行をなそうと、師(先生)として、細井平洲を迎え、教えを受けます。

何かを為そうとするときには、いかに良き先生につき、自らを律するか!ということの大切さを思います。

物事を動かすとき、理想の姿にしようとするとき。
最も重要で、時間がかかるのは、人を育てることです。

まさに、教育は、長いスパンで、しかも実直に進めていかねばなりません。
百年の大計と言ってもいいでしょう。

物事に当たるにふさわしい人材を輩出することこそが、困難な壁をも超えるだけの原動力となるに違いありません。