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埼玉発~全国へ 教育インタビュー 書上元博 さきたま史跡の博物館 館長
002 有識者やがんばっている若者達を紹介する教育インタビュー。 第5回は、書上 元博 さきたま史跡の博物館長に、古墳のミステリーや県立博物館のあるべき姿などについて、お話をうかがってきました。

【プロローグ】

埼玉県の北部に位置する行田市。 忍城を中心とした地域の路地を入れば、城下町の風情を思わせる懐かしさを感じる。 昔から受け継がれた地場産業あり、城あり、古墳ありと、その魅力は奥深い。

「埼玉都民」という言葉があるように、埼玉の人々は地元への関心が希薄であるとも言われるが、行田には故郷を大切にする人情が溢れているように、私には思える。 最近では、和田竜氏作の「のぼうの城」が映画化されたりと、歴史愛好者の間でも、更に関心が高まっていると言っていいだろう。

古代へのロマンとミステリー、未来への継承と発展。 時の扉を開いてみよう。

 

埼玉ならではの価値の発見を

書上 元博 埼玉県立さきたま史跡の博物館 館長

014 【さきたまとは】

  依田(聞き手):さきたま史跡の博物館、あわせて埼玉古墳群の概要と魅力を教えてください。

書上:県名発祥の地、行田市埼玉(さきたま)にある埼玉古墳群は、5世紀後半から7世紀に造られた9基の大型古墳が密集する我が国有数の古墳群として国の史跡に指定されています。

その中の1基である稲荷山古墳からは、115文字の銘文が金象嵌で記された「金錯銘鉄剣」をはじめ勾玉、銅鏡などの副葬品が出土し、一括して国宝に指定されています。

さきたま史跡の博物館では、こうした出土品を保存・公開するとともに、古墳群の発掘調査の成果に基づいて、古墳群の価値を正しく理解していただくための史跡整備を進めています。 ちなみに、博物館で展示している「金錯銘鉄剣」は日本の古代史を考える上での世紀の大発見で、小・中学校の教科書にも必ず掲載されている有名な文化財なので、その実物を見るために全国から毎年11万人ものお客様が来館しています。

依田:金錯銘鉄剣の発見が、なぜ歴史的に大きな出来事として高く評価されているかについて、教えていただけますか。

書上:金錯銘鉄剣の銘文では、ヲワケの臣という人物、この人がこの剣を作らせたのですが、「先祖から自分までの8代にわたる系譜」を示し、「先祖代々、護衛隊長として大王家に仕えてきたこと」を記した上で、「この剣を作らせ、自分が大王の統治を補佐している根源を記すのだ」と誇らしく述べています。

この鉄剣の評価ですが、まず、古墳時代以前の文字資料が極めて少ない中で、115文字という長文の銘文があったことです。しかも吉祥句など形式的な内容がほとんど含まれない正味の情報量としてです。

そして、「辛亥年七月中記」という鉄剣の年代を考える上での重要な鍵があることです。「辛亥」は「かのとい」、この干支は60年に1度回ってきますが、他の出土品から見た稲荷山古墳の年代に近いのは西暦471年か531年になります。

さらには、「ワカタケル大王」と読める記述があることです。これが『古事記』や『日本書紀』に出てくる雄略天皇=オオハツセノワカタケルのことだとすれば、「辛亥年」は西暦471年になります。 こうしたことを総合すると、「埼玉古墳群が存在する地域は5世紀後半の頃にはワカタケル大王の政権下に含まれていた」ということになります。

さて、熊本県江田船山古墳出土の銀錯銘大刀という国宝があります。稲荷山古墳の鉄剣より以前に出土していましたが、75文字の銘文に記された「大王」の名前の一部が不明でした。稲荷山古墳の鉄剣の銘文発見がきっかけで、これについても「ワカタケル大王にお仕えしていた」と読めることがわかりました。

すなわち、現在の埼玉県から熊本県に至る広大な地域が、「ワカタケル大王」の政権に組み込まれていたということになります。稲荷山古墳の金錯銘鉄剣の発見が、日本の古代国家の成立を考える上でいかに重要な発見であったかがわかっていただけると思います。

009 【館長として着任し】

依田:書上さんは、県庁内で長く文化財行政に携わってこられました。 本年4月、館長としてさきたま史跡の博物館へ着任され、久しぶりの現場だと思いますが、ご感想をお聞かせください。

書上:私は学芸員(考古学)として埼玉県に採用されたのですが、県立の博物館で仕事をするのは何と14年ぶりです。 久しぶりの博物館勤務では、事業予算の減少や学芸員の高齢化等々考えさせられる問題も多いのですが、最も注目させられたのは博物館ボランティアの存在感が昔と比べて随分と大きくなっていることでした。

そして、これは全国の博物館や美術館で多かれ少なかれ同じように進行している状況であるようです。詳しくは後でお話ししますが、ボランティアの皆さんとどうお付き合いしていくかは、博物館としての今後の重要課題の一つではないかと考えています。

その他の感想では、県庁の皆さんには申し訳ないですが、さきたま史跡の博物館は大変環境に恵まれています。幸いなことに古墳群や古墳公園の管理も私の大事な仕事ですので、できるだけ園内を巡回し満喫したいと思っています。また、学芸員出身の館長として恥ずかしくないよう、学術的な面でももっと勉強しなければと思っています。

【県民参加の博物館づくり】

依田:博物館ボランティアとのお付き合いが今後重要ということですが、それはどのようなことですか。

書上:さきたま史跡の博物館でも、今やボランティアのサポート無しには館の事業運営が成り立たないほどになっています。じゃあ、これは困った問題なのかというと、むしろメリットの方が多いのではないかと思っています。 その一つは「県民参加の博物館づくり」ということです。

これまで、行政が設置した博物館では、サービスは「行政から県民への一方通行」、「県民は専ら受ける側」というイメージが強かったのではないでしょうか。それに対して、「博物館の運営にボランティアとして県民が参加」し、「館と県民との良きコラボレーションにより『県民の博物館』を実現」するという博物館像は、大変に魅力的で、間違いなく今後追求すべき方向性だと思います。

もう一つは「自己実現の場の提供」です。博物館ボランティアは、「博物館のサポーター」である一方、「とてもディープな意味での博物館利用者、生涯学習者」であると思うわけです。

ボランティアの多くはシルバー世代ですが、「自分のキャリアや特技を子供や若者に伝えたい」という方もいれば、「一般の利用者より深く深く学習して、成果を博物館活動に活かしたい」という方もいます。 こうした希望が実現できるような場を提供することも、これからの博物館の重要な役割だと思います。

736280_545049482173186_2145196831_o 【博物館のあるべき姿とは】

依田:県立の博物館のあるべき姿、進むべき方向性について、書上さんはどのように考えていらっしゃいますか。

書上:それは「やはり博物館は調査研究が基本」ということですね。

有名な資料を集めてNHK「日曜美術館」で紹介してもらえるような展覧会を開けば間違いなく入館者は増えます。 優品を間近で県民に見ていただける機会は貴重ですので、予算がかかっても時々はそうした展覧会も開催したいものです。

しかし、本県の場合、隣接する都内に国立や著名な私立の博物館や美術館があり、優品を揃えた展覧会が毎日のように開かれている。 黙っていてもマスコミや大企業がスポンサーに付く国立や私立の館に対し、県立館が同じ土俵で張り合っても限度があります。

ではどうするか。基本に帰りましょう。

博物館の基本は「博物館資料を収集し保管し調査研究し、その成果を活かして展覧会等を行うこと」です。そのために専門家である学芸員がいるのです。 例えば、当館であれば、埼玉古墳群や県内の史跡や遺跡が専門です。その専門分野について地道に調査研究を深め、その成果を活かした展覧会を企画すれば、それが「当館ならではの展覧会」となり、「わざわざ見に来る価値がある展覧会」になります。

最近のお客様は目が肥えていて速成の薄っぺらな展覧会はすぐ見破られてしまいます。地道な調査研究には2年3年と時間と手間がかかりますが、「埼玉ならではの価値の発見」が期待できます。 本来、県として博物館を所有する意義は、「埼玉ならではの価値の発見」と「その発信」にあるのではないかと思います。

依田:都内や著名な博物館と同じ土俵で張り合っても限界がある。埼玉ならではの価値の発見をというご意見には、私も同感です。 ぜひ、埼玉でしかできない博物館運営を実現していただきたいですね。

書上:微力ではありますが、努めていきたいと思います。

005 【丸墓山古墳の謎】

依田:素朴な疑問なのですが、古墳群全域を眺めてみると、そのほとんどが、前方後円墳なのに、映画「のぼうの城」でも有名になった丸墓山は円墳ですよね。 これは、学術的に、何か理由が語られているのですか。

書上:面白いところに気が付かれましたね。

埼玉古墳群では約150年の間に9基の大型古墳が次々に築かれましたが、内8基が前方後円墳であるのに対して、丸墓山古墳だけが円墳です。 これは大きな謎で学術的にも定説はありません。前方後円墳という墳形は、当時の大和政権との密接な関係の中で特に許されたという考え方があります。

そうなると、大和政権から前方後円墳が許してもらえないような事情が何か起きたのではないか、それは、例えば『日本書紀』にある「武蔵国造の乱」と関係があるのでは。いや違う。など議論もあります。

丸墓山古墳は直径105m、高さ18.9mの日本最大の円墳です。積み上げられた土の量は、埼玉古墳群最大の二子山古墳よりも多いかも知れない。前方後円墳を造るより大きな労力が必要で決して手を抜いたわけではないんですね。

さらに面白いのは、埼玉古墳群の前方後円墳では「造り出し」という形象埴輪等による祭祀が行われた特別な区画がいずれも墳丘の西側にあり、このことから「西方から古墳を見られることが意識されていた」という説があるのですが、古墳群最古の稲荷山古墳のすぐ西に巨大な円墳を築いたのは、「わざわざ稲荷山古墳が見えないようにしたのでは」等々と謎は深まるばかりです。

依田:とても興味深い、いやあ、実に面白いですね。 古墳群に隠されたミステリーについては、ぜひ後日また、じっくりお話を聞かせてください。

書上:どうぞ、いつでもお出でください。

019 【世界遺産】

依田:地元、行田市では「埼玉古墳群を世界遺産へ!」という期待が高まっていますが、現状と今後の展望をお聞かせください。

書上:まず現状ですが、埼玉古墳群については、世界遺産への第一関門である国内暫定一覧表記載をめざして県と行田市から国に提案を行いましたが、残念ながら記載は認められませんでした。

暫定一覧表には、先ごろ世界遺産登録が決まった「富岡製糸場と絹産業遺産群」の他に11件の候補が記載され、1年に1件だけユネスコに提案されていくことになっています。 また、11件の中には、伝仁徳天皇陵などの巨大古墳を含む百舌鳥・古市古墳群(大阪府)も記載されており、同じカテゴリーの埼玉古墳群としては聊か厳しい状況ではあります。

今後の展望ですが、いつまたチャンスがあるかわからないので、しっかり再挑戦できるよう準備を進めておく必要があります。

例えば、特別史跡への昇格です。特別史跡とは「国指定史跡の中でも特に重要なもの」で、1,733件の中から61件だけ選ばれた「史跡の国宝」です。埼玉古墳群は未だ特別史跡にはなっていないので是非とも昇格したいものです。

実は、特別史跡昇格に向けたアプローチと世界遺産に向けたアプローチとは、解決すべき課題の多くに共通点があり、基本的な方向性は一致しています。

したがって、まず当面の目標を特別史跡へのステップアップに置き、これを確実に手にしておくことが、埼玉古墳群を活かした地域活性化としても現実的であるし、世界遺産に向けたアプローチとしても確実な一歩ではないかと思います。

【金錯銘鉄剣の復元と歴史と民俗の博物館との連携】

依田:「さきたま」と言えば、国宝金錯銘鉄剣を思い浮かべる方々が多いと思います。今秋、歴史と民俗の博物館では、この鉄剣をモチーフにした特別展が開催されると聞いています。 さきたま史跡の博物館も何らかの連携を考えていらっしゃいますか。

書上:覚えている方もいらっしゃるかも知れませんが、昨年11月に金錯銘鉄剣の復元品が埼玉県に寄贈されました。

米国メトロポリタン美術館の小川盛弘特別顧問を中心に現代の刀匠・彫刻師・研師の皆さんが集まって7年間を費やして復元したもので、1,500年以上前の作られた当時の鉄剣の姿を考える上で大変参考になる資料です。

早速、さきたま史跡の博物館で御披露目し好評を博しました。 歴史と民俗の博物館では今年10月から特別展「甦る鉄剣」と題して展覧会が計画されていますが、国宝鉄剣の実物は移動や展示が困難なので、さきたま史跡の博物館で実物を見ていただけるよう連携事業を検討しています。

依田:復元を特別展で観た人々が、「本物を観たい」と、さきたまへと足を運んでくれるといいですね。

書上:ぜひご覧いただければと思います。

016 【いにしえのロマンを感じる空間】

依田:結びになりますが、県民そして全国各地から訪れる皆さんへ一言PRをお願いします。

書上:国指定史跡埼玉古墳群とさきたま史跡の博物館がある「さきたま古墳公園」は、桜や蓮の花、紅葉、雪景色など四季の移り変わりを楽しみながら、古代の歴史を学び、いにしえのロマンを感じることができる快適な史跡空間となっています。

また、博物館では、多くの皆さんに楽しんでいただけるよう、展覧会や講演会、体験学習など色々な催しを準備してお待ちしておりますので、ぜひお立ち寄りいただければと思います。

依田:今日は、貴重なお話をありがとうございました。古代ロマンへいざなうお話を、また是非お聞かせください。

書上:こちらこそ、ありがとうございました。多くの皆さんに興味を持っていただければ幸いです。

006 【エピローグ】

私自身、埼玉古墳群へは何度も足を運んでいるが、あの勇壮な風景は飽きることがない。 また、古墳の頂へ登り、たとえば群馬方面を見渡せば、いにしえの人々は、どんな目線を注いでいたのか?と、興味は尽きない。

書上さんは、学芸員採用時代から文化財行政、博物館の在り方について、真摯に考えて来た存在であると、私は思っている。

海外では、ミュージアムを中心、核として街づくりがなされている例も多いという。 「さきたま」こそは、古墳群という稀有なものを持つ博物館として、埼玉ならではの存在感を存分に発揮してほしいと期待するところである。

文末になったが、取材にあたり、ご多用の中、快くご協力くださった書上館長に、心から御礼申し上げる次第である。

1519438_814508561893942_2618924726300506042_o (取材と文責、写真:依田 透)