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何をもって恥とするか

何をもって恥とするか


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日本をして、「恥の文化」と呼んだ海外の人物がおりましたが、「何をもって恥とするか?」という命題を立てて、今回はちょっぴり筆を進めてみたいと思います。

そもそも、恥とは、人様から見られて恥ずかしいことをするな!・・・ということが本旨なのでしょうか?
そのすべてが間違っているとは言いませんが、恥とは本来、もっともっと自分自身の内面世界におけるものだと、私は考えています。

さて、何をもって恥とするか?ということについては、既に遠い昔から疑問を呈していた人物がいました。
たとえば、吉田松陰こと寅次郎。

吉田松陰は、「講孟余話」の中の一説で、こんなことを言っています。

「君子は徳義なきを恥ぢ、小人は名誉なきを恥づ」

思い切り、ひらたく訳せば、立派な人物は、自分自身に徳や義が足りないことを恥じるもの。
たいしたことのない人物は、名誉とか外見上のことを恥の基準とする。
そんなことかと思います。

一度、静かに自省してみたいものです。
一流の学校へ行っていなければ恥なのか?
大企業へ就職して昇任しなければ恥なのか?
美味しいものを食べていなければ恥なのか?
立派な家に住んでいなければ恥なのか?

すべては、見せかけ、あるいはごくごく細部の事象に過ぎません。

本来の恥とは、自分は人として歩むべき道を踏み外していないか?と問い、心に濁りがあれば恥じる。
そういうことではないでしょうか。

見せかけの栄華で競い合う世の中は、実に寂しいものです。

自分の心に曇りなければ、たとえ派手な生活をしていなくとも、堂々と生きていける。

本当の恥とは何なのか?
何をもって恥とするのか?

私達は、このことを、今一度、自分自身に問い直してみる必要がありそうです。

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