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教育と政治主導

教育と政治主導


教育と政治主導
国の在り方や、これから進む方向性を決めるに、政治のリーダーシップということが、よく言われます。
難しい問題でも、的確な判断をし、時期を逃さず多くの難題に対処するには、国民の代表たる政治家が、しっかりと決めていく・・・ということは分かります。

一方、私達が生活する日常には、リーダーシップにより引っ張っていくよりも、広く議論し、皆で考えていくというスタンスに馴染むものもあると思っています。

教育に関しては、確かに外に対して閉鎖的な部分もあるし、もっとオープンにすべきところ、もっと第三者の提案を受け入れる部分があっていいと考えます。

しかし、幅広い教育の分野で、こと学校教育に対して、あまりに政治主導という流れが強くなり過ぎることには、少なからず危惧を抱きます。

象徴的なのは、たとえば教科書採択問題、あるいは教科書の記述に関する議論。
これは、いろいろな有識者の意見を聴取し、話し合い、文科省なり自治体がより良いものを採用していくべきで、この部分に政治のリーダーシップが過度に介入することは、政治主導がもつ本来の意味とは異なるものではないでしょうか。

最近話題の教育委員会制度改革。
たしかに、教育委員会制度には、改善すべき点が多々あるし、同委員会に求められた活動が十分には機能していない例もあります。

しかし、だからといって、政治のリーダーシップを発揮すれば解決するというのは、やや乱暴な議論でありましょう。
地方であれば、首長は皆、政治家であり、党派の方針を持っています。

首長によって、あるいは首長が交替するたびに、教育の基本的スタンスを変えていくのか?

リーダーシップとは、明確にして、即決性があり、大衆に惑わされず判断できるメリットを持っています。
逆に、リーダーシップがそぐわないものも、社会には存在する。

こと、教育においては、しっかりと時間をかけて、広く意見を求め、たとえば学校教育ならば、子ども達にとって何がベストか?を常に念頭に置いてほしいと願うところです。

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